誰にも聞かれたくない「音」って、ありませんか?
家に人がいるとき、
なぜかトイレの音や、お腹の音、おならの音が気になる。
音だけならまだしも、匂いまでも気にしてしまう。
それが、今の空気清浄機の時代。
オナラがでそうになって、
「トイレで済ませちゃおう」と思って何食わぬ顔でトイレに向かったのに、
ちょっと油断した瞬間……プスッ。
ピピッ。
リビングで空気清浄機が赤く光って、風がブワァ……。
恥ずかしさと、ばつの悪さで、いたたまれない。
笑えるけど、ほんとうは真剣だった
こんなことで気をつかう自分って、変なのかな。
でも、たとえ家族にでも聞かれたくないときって、ありますよね。
別に「バレたら嫌われる」と思ってるわけじゃない。
だけど、「気づかれたかも」って思ったとたん、
なんだか穴があったら入りたくなる。
そんなふうに、「誰にも見せたくない瞬間」って、
意外と日常にひそんでいるんです。
“生理的なこと=恥ずかしい”と感じる心のしくみ
心理学には「自己呈示(じこていじ)」という言葉があります。
これは、人が「他人にこう見られたい」というイメージをコントロールする心のはたらきのこと。
たとえば、
・きれいに見られたい
・ちゃんとしてる人と思われたい
・気が利く人と思われたい
そんなふうに、「理想の自分像」を保つために、
人は無意識のうちに、見せる部分と隠したい部分を選んでいます。
そして、おならやトイレの音といった“生理的なこと”は、
その隠したい領域の、ど真ん中にある。
それを機械に反応されると、
「自分のコントロールできない“素”がバレた」ような気がして、
恥ずかしくなるんです。
気をつかう自分も、ちょっと笑える自分も
誰かと同じ空間にいるとき、
ちょっとした音や気配を気にしてしまうあなた。
それは、「人を不快にさせたくない」って思っている、
優しさのかたちなのかもしれません。
でも、空気清浄機に反応されたって、大丈夫。
少しずつ、自分の“人間らしさ”も受け入れていけたら。
笑い話にできる恥ずかしさは、
あなたの心がほぐれている証かもしれません。