はじまりは、ただの“共感”だった
SNSを眺める時間が、日常の小さな息抜きになっていました。
とくに、夫婦や子育てのことを書いているアカウント。
どこか自分と重なるようで、読みながら「わかるなぁ」と頷くことも多かった。
中には、ちょっと強い言葉や愚痴のような投稿もあったけれど、
それもまた「そう感じる人もいるよね」と、
まるで外の景色を眺めるように、静かに受け止めていたつもりでした。
でも、知らないうちに染みこんでいた
あるときから、ふと気づいたんです。
夫のささいな行動に、理由もなくイライラする瞬間が増えていることに。
以前なら気にも留めなかったことに、心が引っかかる。
それが、重なる。積もる。いつのまにか、
私の中の「優しいまなざし」が薄れていくのを感じていました。
夫に不満があるわけじゃないのに。
なのに、なんでこんなにギスギスするんだろうって、
自分でもわからなくなることが、増えていきました。
原因は、まさかの“共感疲れ”だった
ふと、「最近、心がざわざわしてるかも」と思って、
SNSを1週間だけ閉じてみることにしました。
すると、驚くほど心が静かになったんです。
夫の言動に過剰に反応することもなくなって、
ふたりの会話も、少しずつ穏やかに戻っていきました。
あのとき初めて、気づきました。
**誰かの“愚痴”に共感することで、
私は、自分の心の温度を下げていたんだ**って。
言葉は、思っている以上に影響を残す
ネガティブな言葉って、そのときはただの読み物のようでも、
じつはじわじわと心に残ることがあるんですね。
“うちは違うから大丈夫”と思っていても、
いつの間にか、誰かの不満の視点で、自分の夫を見てしまっていた。
距離をとる、という優しさ
SNSが悪いわけじゃない。
誰かが愚痴を吐き出すことも、その人にとっては大切な感情表現だと思います。
でも、**それを日常的に浴び続けることが、
私には少し重すぎた**だけなんだと思うんです。
今は、言葉との距離をすこし変えました。
「いまの自分に優しくない言葉」は、無理に見ないようにする。
そのフィルターを持つだけで、心の調子がふわっと整うようになりました。
まとめ:わたしの心を、わたしが守る
誰かの言葉に共感することは、
ときに自分を理解する助けにもなります。
でも、もしも共感しすぎて、自分の大切な人に冷たくなっていたら──
それは、少しだけ立ち止まるサインかもしれません。
心がざわつくときは、静かな場所に戻って、
ほんとうの気持ちに耳を澄ませてあげよう。
大切なものは、画面の外にある。
私は、そう感じています。